小角武嗣清田区長は4月1日付で札幌市まちづくり政策局長に異動します。小角区長は2018年4月に清田区長に着任。3年間で一番印象に残るのは、やはりあの胆振東部地震(2018年9月6日)のことだったといいます。

小角清田区長

 「夜中の3時7分でした。大谷地の自宅で就寝していましたが、4時には自分の車で区役所に着きました。『大変なことになっている』との報告があり、自分の車で里塚に行きました。夜が明けてきたら、目の前にあの光景が広がっていました」

 家が大きく傾き、道路が陥没、地中から大量の土砂が噴き出る光景に、さすがに最初は「何をすればいいのだろう」と戸惑ったといいます。

「5時前くらいに、地域の人が『避難したい。どこに行けばいいのか』と言うので、すぐ『平岡南小を開けよ』と指示しました。5時半には平岡南小を避難所として開けました」

里塚の地震被害=2018年9月6日

 目の前の光景を見て、小角区長は「被災地域と札幌市本庁とのつなぎ役の役割を果たしていこう」と決意したといいます。

 地震1週間後の9月13日、札幌市が里塚地区の住民相手に最初の説明会を清田区体育館で開催しました。住民の怒りと不満が爆発し、紛糾しました。小角区長は「紛糾したのも当然でした。行政もまだ答えを持っていなかったのですから。かえって住民の皆さんを不安にさせてしまい、申し訳なかったと思いますが、まず、住民の声を聞くことが大事でした」

 この紛糾した住民説明会には、市の関係部局の職員が多数出席しました。「あの説明会で本庁と切迫感を共有できた」と小角区長は振り返ります。

 胆振東部地震で被害が集中したのは、清田区と東区だけでした。それだけに札幌市本庁サイドと被災地域の間には、切迫感の温度差があったのかもしれません。この最初の説明会で「本庁もこれは大変なことだと切迫感を感じてくれた」と小角区長は言います。

 それからはスピードがアップしたそうです。説明会翌日、小角区長が本庁に行ったところ、既に「住民説明会で答えられなかったリストが出来上がっていた」そうです。そして、その日のうちに「当面やるべきリスト」も関係部局で作成、夕方には記者発表したといいます。

 小角区長は、地域住民の頑張りもスピード感ある復旧に大きく寄与したといいます。里塚中央町内会は地震翌月の10月には、地域コミュニティーの再生を掲げて復興委員会を立ち上げました。そして、地域住民の意見を取りまとめ、いちはやく要望書を市に提出しました。「行政と地域住民の価値観が一致できたこと、あれがスピード復旧にとって一番良かった」と小角区長は言います。

小角区長に感謝の思いを伝えた里塚中央災害復興委員会の皆さん=2021年3月16日

 小角区長は地震後、何度も地域に足を運びました。地域住民と対話しました。そうした姿に地域も信頼を寄せるようになっていきました。

 地域の復興委員会は3月16日、区役所を訪れ、里塚復旧に尽力した小角区長に感謝の思いを伝えました。

 里塚地区の道路と宅地の復旧工事は昨年12月に終了し、残る里塚中央ぽぷら公園の復旧も今年夏ごろ完了する予定です。里塚霊園隣接地区の宅地補強工事も昨年終了しました。美しが丘地区の地盤補強工事は今も続けられており、清田団地の地盤補強工事は2021年度から始まります。

 3年間務めた清田区の印象については、「コミュニティーの状況が良いと思います。高齢者の安否確認なども、民生委員、福まちの人たちが普段からよくやっていて、地震の時も区からお願いしなくても、みなさん安否確認されていました」といいます。「区民もおだやかで、区長としては居心地がよかったです」

 4月からは市まちづくり政策局長です。札幌市全体の都市計画の取りまとめを行う部署だそうです。地下鉄延伸問題も担当する部署です。

 区役所前の地域交流拠点清田の検討が2021年度、本格的に始まります。地域交流拠点も担当します。

 「地下鉄延伸は清田区の悲願なので、その灯は消さない。しかし、それはそれとして、何か地域交流拠点清田でやれることはないのか。そうした議論があまり行われてきませんでした。まず、区役所付近のエリアをどうするのか、地域の人たちの意見を聴いて方向性を見定めたい」といいます。

 区長3年目の1年間は、コロナ禍で区政運営にはなにかと苦労されたと思います。小角区長、お疲れさまでした。

[広告]