吉田用水跡を歩く北野小児童たち

 札幌市清田区北野3条3丁目に残る水田用水路跡「吉田用水跡」の現地見学ツアーが人気です。10月は、小学生や大学生、一般市民など3団体が相次いで現地見学に訪れ、あしりべつ郷土館(清田1条2丁目、清田区民センター2階)スタッフが現地案内しました。

吉田用水跡で説明を聴く北野小児童

 10月19日に札幌市民カレッジ「さっぽろ10区巡り―清田区編」の市民15人ほどが現地を訪れたのに続き、10月28日には札幌国際大学の学生と教職員一行10名余が授業を兼ねて見学、さらに10月31日には北野小学校児童80人が集団見学しました。

清田区の歴史を感じながら用水路跡を歩く札幌国際大学の学生ら

 いずれも、あしりべつ郷土館ボランティアスタッフの了寛紀明さん(郷土史家)、田山修三さん(北海道文化財保護協会副理事長)、川島亨さん(「ひろまある清田」代表)らが、案内し、現地で吉田用水の解説をしました。

用水路脇にある北野第一公園で札幌国際大学の学生に青空授業

 コースは、まず北海道コカ・コーラボトリング裏手の厚別川左岸道路脇に建つ「吉田用水記念碑」を見学。それから左岸道路沿いに下流方向に約500m歩いて、「吉田用水跡」(北野3条3丁目)の入り口(北野中学校向かい)に到着。吉田用水跡は、ここから長さ約500mに渡って帯状の緑地帯になっています。

吉田用水記念碑を見学する札幌市民カレッジの皆さん

 この緑地帯を、あしりべつ郷土館のスタッフの解説を聞きながら歩き、清田区の昔の人たちの暮らしや農作業に思いを馳せます。

 吉田用水は明治25年(1892年)頃、今の用水記念碑が建っている付近の厚別川(あしりべつ川)から取水し、北野、大谷地方面に水田用水を供給しました。全長は5㎞ほどありました。

 当時の農家の人たちが手作業で掘った用水路で、吉田用水という名称は、中心となった人物の一人が「吉田善太郎」という人だったからです。

 これにより、清田、北野などに水田が広がり、やがて今の清田区の厚別川流域は美田が広がる水田地帯に発展していきました。

吉田用水路跡の位置(緑色の線)=了寛紀明さん作成

 しかし、昭和40年代に入ると、都市化と宅地化の波が押し寄せるようになり、水田はなくなり、吉田用水も役目を終えて大半が埋め立てられました。

 ただし、北野3条3丁目の500m区間だけは、宅地化されず、札幌市が管理する空き地として奇跡的に、その痕跡が残り、今日に至っています。

 この吉田用水跡は、住宅街として発展する清田区が、かつて水田が広がっていた純農村であったことを今に伝える貴重な歴史遺産と言えます。

 清田区は他区とくらべて歴史的建造物や歴史遺産が少ない区だけに、なおさらこの吉田用水跡は大切にしたいものです。

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