北海道新聞がきょう1月23日(金)、一面で「札幌地下鉄延伸の現実味は 市が調査費1000万円 可能性を探る」という記事を出しました。

北海道新聞=2026年1月23日

「バス減便・廃線時代の対応として、地下鉄延伸を考える」と秋元市長=2025年1月7日、清田区新年交礼会

 記事によると、「バス路線の相次ぐ廃止や減便を受け、地下鉄延伸の可能性を含め、交通体系の見直しに向けた調査に乗りだす方針を固めた」とのことです。

 清田区と豊平区の町内会連合会などでつくる地下鉄東豊線建設促進期成会連合会(事務局:清田地区町内会連合会)は毎年、清田区への地下鉄延伸を要望してきましたが、市はこれまで「事業採算性が見込めない」として「延伸は難しい」との姿勢でした。延伸に向けて全く動こうとはしませんでした。

清田地区までの延伸が望まれる東豊線

 それだけに、調査費1000万円をつけて可能性調査をするというのは、これまで運動を続けてきた地下鉄期成会や清田区民からすれば、「山が動いた」といった感覚で、期待をもってこの記事を受け止めています。

清田までの延伸ルート

 しかし、まだ可能性調査をするという段階であり、延伸を決めたという訳ではないので余談禁物です。引き続き市の動きを注意して見ていく必要がありそうです。

 今回の「市が地下鉄延伸の調査費を付ける」という第一報は、「ひろまある清田」が1月7日に公開した記事「秋元市長 新年度、地下鉄延伸の調査費を付ける」でした。同日開催された清田区新年交礼会で、秋元市長が発言したことを報じた記事でした。

 「ひろまある清田」では1月12日にも、「地下鉄の調査費をつける発言の意味」としてさらに詳報と解説を伝えています。こちらの記事もぜひご覧になってみてください。

 そして今回、北海道新聞が「1000万円」という数字を引き出し、きちんとした形で報道してくれました。

 バス減便・廃線時代に、どうやって市民の足を確保するのか、その場合、地下鉄をどう活用し、地下鉄がない地域にどう延伸するのか。秋元市長が清田区新年交礼会で語ったことは、こういうことです。秋元市長の決断を歓迎し、期待します。

 市営地下鉄の清田区までの建設計画は、昭和54年(1979年)の札幌市地下鉄50キロ構想(南北線、東西線、東豊線=総延長50キロ)が始まりです。板垣市長の時代でした。この時は、福住から先は北野通を通って北野までの構想でした。

 市は昭和55年(1980年)、今の里塚斎場(火葬場)を建設する際、「火葬場建設に同意してくれたら地下鉄を清田方面まで建設する」と地元の町内会連合会に約束しました。

 そして市は昭和60年(1985年)、福住から先のルートと駅(共進会場、月寒東、北野)を発表し、さらに昭和63年(1988年)には市長期総合計画にも延伸計画を載せました。

地下鉄駅とバスターミナルの設置が望まれる清田地区

 1997年誕生した清田区は、「まちづくりビジョン」を発表し、ルートを国道36号線沿い変更し、清田区役所などがある清田地区まで延伸させる計画を策定、発表しました(1999年)。

 そして、市は2001年、桂市長が設置した札幌市総合交通対策調査審議会において「清田方面の延伸を検討すべし」との方針を打ち出したのです。

 ところが、上田市長になって2012年、「札幌市総合交通計画」を策定し、清田区への地下鉄延伸を「凍結」してしまいました。「事業採算性がない」という理由です。

 しかし、地下鉄期成会はその後、毎年、「公営交通なのだから採算性だけで判断するのはおかしい。市民の足を確保するのは行政の責任であり、また地下鉄駅はまちづくりの核でもある」と市に粘り強く要望してきました。

「思いは清田区の皆さんと同じ」秋元市長=2024年7月、清田区民まつり会場

 秋元市長も「採算性」を理由に、延伸は難しいという姿勢でしたが、ここ2~3年、期成会に対して「延伸の思いは皆さんと同じ」「延伸は採算性だけでなく、総合的に判断するべきだ」と、言い方が変化してきていました。

 桂市長の時代、2001年に改めて打ち出した「清田方面への地下鉄延伸を検討すべき」との方針が、25年たって秋元市長の時代にようやく動き出す。そのように感じられます。

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