北海道胆振東部地震で大きな被害が発生した札幌市清田区里塚の被災地域は、地下水が集まりやすい地形だったようです。札幌市も「造成前の沢に沿った集水地形」(2017年11月15日地元説明会資料)という表現で、この地区の地形が被害発生の一要因になったと説明するようになりました。しかし、地震前まで、ここにいくつもの沢や川が集まっていたことは、ほとんどの人が知りませんでした。
里塚地区の被災発生メカニズムについて、札幌市の説明(上記の地元説明会資料)は次の通りです。
まず、なぜ「液状化」が発生したのか。
「砂質系火山灰の盛り土内にある緩い土層」だったうえに、「造成前の沢に沿った集水地形」「水を含みやすい土(砂質系火山灰)」「前日の台風21号による降雨(可能性)」等により地下水位が高くなっていたことを札幌市は要因として挙げています。
次に、なぜ帯状に地下の土が「流動化」し、大量に流失したのか。
「造成前の沢に沿った地形」のため高低差のある傾斜地だったこと、「砂質系火山灰での盛り土」のため軽く水を含みやすい土だったことを要因として挙げています。
そして、これらが複合的に絡み合って、あの大きな被害につながったというのが札幌市の説明です。
ここで注目したいのは、このときはじめて「集水地形」という言葉を札幌市が持ち出したことです。地下水が集まりやすい地形だったというわけです。
地震前まで、かつてこの地域にいくつもの川や沢があったことなど、ほとんどの人は知りませんでした。昭和53年(1978年)、54年(1979年)に札幌市の開発許可の下、宅地造成されて、きれいな宅地として売り出されたからです。
三里川は今、旧道沿いの「大華飯店」(里塚2条2丁目)横から地表に出て平岡公園方面に流れていくのが見られます。しかし、旧道から上流は宅地造成の際に暗渠(地下水路)化されたため、かつて三里川がどこをどう流れてきたのか、どこを盛り土したのか、一般には分からない状況でした。
国土地理院が地震後に作成した「清田区地形復元図」を見ると、かつての三里川は旧道から上流部分はいくつもの川に分かれていたことが分かります。美しが丘方面や里塚霊園方面から流れてきた幾筋もの川が、旧道の低い部分で1つに集まり、一本の三里川になり下流方面に流れて行っていたのです。
被害が大きかった里塚1条1丁目地区は、この幾筋かの川が一つに集まる付近にあります。
今は、旧道から上流の幾筋もの川は、暗渠管や下水道管になって雨水を処理していますが、自然の力はすごいもので、かつての地形に沿って地下水は集まっていたのかもしれません。
北海道胆振東部地震で、清田区では他にも液状化の被害が発生しました。清田区以外でも液状化は見られました。しかし、地中の土が流動化して大量に流失し、甚大な被害が発生したのは、里塚1条1丁目地区だけです。なぜ、この限定的な地域だけだったのか。やはり「集水地形」だったからなのではないでしょうか。
札幌市は、こうした状況を踏まえ、この地域に地下水が集まらない対策工事を検討、12月19日の地元説明会で住民に示しました。
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