清田区のすぐ隣の豊平区福住地区には、郷土の歴史を伝える福住開拓記念館(札幌市豊平区福住1条4丁目13-17)があります。福住の発展を支えた昔の農機具や生活道具がたくさん展示されています。

 福住開拓記念館は昭和46年(1971年)、福住開基100周年を記念して設立されました。当初は隣接する神社境内にあった農業倉庫を改装した建物でしたが、平成9年(1997年)、現在の記念館に新築移転しました。現在の記念館は、福住まちづくりセンターと福住地区会館が入っている建物の中にあります。

 展示物は、明治の開拓期以降の農機具や馬車、明治・大正・昭和のさまざま懐かしい生活道具などが、きちんと並べられて展示してあります。この地区で実際に使われていた農機具や生活道具を実際に見ることで、昔の人たちの苦労や生活ぶりがイメージできます。

 また、福住地区は、明治4年(1871年)に岩手県盛岡から入植した6戸の農家の入植で始まり、当初は「六軒村」と呼ばれました。その当時のいきさつなども、パネルで分かり易く説明されています。

 大正から昭和にかけての福住地区の民家の中の様子なども再現されています。

地域と戦争「鎮魂」コーナー

 明治4年の岩手県からの開拓移住者は44戸で、月寒に入植しましたが、土地が足りず、6戸だけ少し離れた今の福住地区に入植したということです。この地区は、その後、「月寒西通」と呼ばれてましたが、昭和19年(1944年)に字名変更で「福住」になりました。

昭和46年まで、農家で使われた有線放送電話機

 また、岩手県からの月寒入植者44戸のうちの1戸、長岡重治一家が明治6年(1873年)、今の清田小学校付近に移り、開墾を始めました。これが、今の清田区地域の始まりです。

昭和12年田植えの様子=今の福住地区

 清田区と同じく、福住地区も農業を中心に発展してきました。明治のころは、ソバ、大豆、小豆、麦などを作付けし、リンゴ栽培も大正7年ころから本格化し、昭和25年ごろに最盛期を迎えたそうです。

 ところが、昭和30年代、40年代以降、宅地化が進みました。こうした歴史は、清田区とそっくりです。ただし、福住地区は平成6年(1994年)、地下鉄東豊線が福住駅まで開通しました。この点が清田区とは大きく異なっています。

「福住ゆかりの人々」紹介コーナー

 福住開拓記念館の維持管理は、「福住三六会」という団体が中心になって行っているそうです。福住三六会は昭和46年(1971年)に、当時の福住地区の農家36戸で設立した団体だそうです。

福住開拓記念館入り口

 ただし、日常の管理は、同じ建物の福住まちづくりセンターが行っています。普段はカギがかかっているので、見学する際は、福住まちづくりセンターに声をかけて、鍵を開けてもらいます。入館は無料です。

 年間の一般来館者は100名足らずだそうですが、ここに来ればいつでも福住の歴史に触れられるという点では、貴重な記念館と言えそうです。

 福住開拓記念館の開館時間は8時45分~17時15分、土日祝日・年末年始は休館。連絡先は、TEL 011-851-6414。駐車スペースは若干あり。

 なお、清田区にも地域の歴史が学べる「あしりべつ郷土館」(清田1条2丁目5-35.清田区民センター内)があります。

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