厚別神社(あしりべつ神社)=札幌市清田区平岡2条1丁目=境内の土俵のわきに、「上相撲記念」「島千鳥」と記された石碑が立っています。

厚別神社境内にある「上相撲記念 島千鳥」の碑
石碑の裏面には、「厚別住人 佐々木喜太郎」とあり、さらに「厚別有志一同」「大正十三年九月」との記載があります。
「上相撲記念」の「上」とは、神様へのお供え物や、格上の人を神様のように敬う場合に用いられる言葉です。
これは一体、何だろうと思う人も多いのではないでしょうか。
「厚別」とは「あしりべつ」と読み、昔の清田区の地名です。

石碑の裏面に「厚別住人 佐々木喜太郎」の文字
これについて以前、清田区真栄の農家、佐々木勝宏さん(元清田区消防団長)にお話を聴いたことがあります。
佐々木さんによると、この石碑に記された佐々木喜太郎さんは、勝弘さんの祖父で、昔、北海道の草相撲で活躍し、横綱級の強さだったとのことです。

土俵を見守るように立つ上相撲記念碑
「島千鳥」というのは、佐々木喜太郎さんのしこ名(四股名)です。
神社には、土俵がある場合が多く、明治の末頃より札幌や北海道でも、各神社で相撲大会が盛んだったそうです。
佐々木喜太郎さんは、そうした各地の神社の相撲大会に「島千鳥」のしこ名で出て、活躍していたようです。

厚別神社
こうした活躍を見て大正13年(1924年)9月、地元の人たちが、この石碑を建てたものと思われます。「島千鳥」は、当時の地域の人たちにとって自慢の英雄だったのでしょう。
喜太郎さんは若いころは真栄で農業をやっていましたが、その後、石材や木材の仕事に就き、樺太(サハリン)に渡って材木の仕事をしていた時期もあったそうです。

厚別神社の秋祭りでは、今も子供相撲大会が上相撲記念碑前の土俵で行われている
勝弘さんが子供の頃、びっくりしたことがあったそうです。祖父の喜太郎さんが米俵を足に2つ、手に2つ、口に1つ、計5つ持って見せたそうです。
今も、厚別神社の秋のお祭りでは、「島千鳥」の石碑の前の土俵で、子供たちの奉納相撲大会が行われます。「島千鳥」の石碑は、その子供たちの元気な姿を見守っているかのようです。
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