札幌市清田区の厚別神社(あしりべつ神社)境内=平岡2条1丁目=に「清田会館の跡」という、比較的新しい石碑が立っています。裏面に「平成15年11月 清田会館運営委員会 建立」とあります。
ほかに特に説明板もないので、「これは一体、何だろう」と清田区民でも思う人が多いかもしれません。
ここにはかつて「清田会館」という集会施設の建物がありました。「清田会館の跡」はその記念碑です。
清田会館を建てたのは、あしりべつ(今の清田区)の青年たちでした。この小さな碑には、郷土の発展を願って頑張ったあしりべつの青年たちの団結と奮闘の歴史が詰まっているのです。
清田会館は昭和45年(1970年)に厚別神社隣に建設されました。木造モルタル2階建てで、延べ330㎡の広さでした。当時、清田地区には集会施設は全くなく、この清田会館は地域住民にとても歓迎されました。大変立派な施設で、地域住民の誇りだったといいます。
地域の集会所として、地域の集まり、町内会の会合、老人クラブ、各種サークル活動、葬儀などに活用され、地域の福祉や文化の向上、地域の発展に大きく寄与した施設でした。厚別神社例大祭の演芸大会の会場にもなったといいます。
しかし、清田区の都市化と人口増加とともに清田区民センターはじめ地区会館、町内会館、葬儀場等が建ち、清田会館は老朽化も相まって、その役目を終え、20年前の平成14年(2002年)に閉館、解体されました。32年の歴史に幕を下ろしたのです。
「清田会館の跡」碑は、翌2003年に建立されました。
この清田会館を建てたのは、大正3年(1914年)に発足し、昭和40年(1965年)に解散した厚別(あしりべつ)青年会です。清田会館の建設費は1500万円ほどで、これで清田会館を建て、裏にグラウンド80アール(現在、厚別神社の駐車場)を取得しました。
この資金は、厚別青年会が北野に持っていた土地(山林)=基本財産=を売却したお金でした。
厚別青年会は発足時の大正3年、郷土の将来のためにと、今の札幌市清田区北野2条2丁目あたりにあった山林(霜踏山=当時)2.3ヘクタールを取得しました。
この「青年の山」の買入金は137円50銭でした。このお金は、青年たちが各自で月5銭貯金して積み立て、さらに山林の下草刈りで得た資金などで貯めたものでした。
「青年の山」にカラマツ5000本、桜500本、松200本を植樹しました。その後、毎年、50~60人でカラマツの下草刈りをして管理したそうです。
時代が過ぎて昭和30年代後半から都市化とともに農家が急速に減少し、青年会の会員も数名となり、厚別青年会は昭和40年(1965年)に解散となりました。
同時に、「青年の山」にも宅地化の波が押し寄せ、この土地は2400万円で売れたそうです。青年たちは、このお金で地域が必要とする「地区会館と運動場を造ろう」となり、清田会館が建設された次第です。
厚別青年会は、労働・研修・奉仕・地域貢献の精神で、地域の様々な活動の推進役となって郷土の発展に尽くしました。厚別神社のお祭りでも、青年たちが頑張ってお祭りを盛り上げました。
そうしたかつての青年たち(地域の先人たち)の活動や足跡、思いが、この小さな「清田会館の跡」碑には詰まっているのだと思うと、感慨深いものがあります。
これは、清田会館だけでなく、あしりべつの青年たちの往時の活躍をしのぶ石碑でもあるのです。
清田会館と厚別青年会のことは、「清田会館の歴史-追想-」(2003年刊、編纂:泉豊吉氏、監修:長岡武夫氏)に詳しく載っています。この記事も、この冊子に拠りました。
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