健康イベント「清田区歩こう会」が10月20日(木)、開かれました。秋晴れの下、およそ50名が参加し、清田区の歴史探訪コースを歩きました。

吉田用水記念碑前を行く歩こう会一行
清田区主催の歩こう会は、7月に続いて今回が本年度2回目の開催。清田区は「厚別川8つの橋巡り水辺コース」など5つのウオーキングモデルコースを設定していますが、今回はこのうち「清田区の史跡探訪コース」(6.5㎞)を歩きました。
清田区役所前の広場で準備体操をして、清田区健康づくりリーダー「清田Hi遊会」の引率でいざ出発。

立ち止まって開拓功労碑を見る歩こう会一行
はじめに旧道を歩き、清田小学校グラウンド前の開拓功労碑前で立ち止まり、清田Hi遊会のリーダーから碑の説明を聴きました。
この開拓功労碑は、明治6年(1873年)、あしりべつ地区(今の清田区)に最初に入植し、開拓を始めた長岡重治(岩手県人)の功績を称えた碑です。長岡重治は、あしりべつで最初に稲作を試み、神社や学校、道路などを造った開拓功労者です。
碑は昭和22年(1947年)に建てられました。長岡重治は、この碑のあった付近に家を建て住み着いたといわれています。

紅葉の下を行く
歩こう会の一行は、厚別橋(あしりべつ橋)を渡って、厚別川(あしりべつ川)の左岸道路のコカ・コーラ裏に立つ吉田用水記念碑で再び立ち止まりました。
この記念碑は、明治25年(1892年)頃に吉田善太郎さんという人が中心になって、当時の地域の人たちが造った「吉田用水」という水田用水路を記念した碑です。碑は大正時代に建立されました。
吉田用水は全長5㎞あったといい、記念碑が建つ付近の厚別川から取水し、北野、大谷地方面に農業用水を供給しました。
昭和40年代に都市化とともに水田が消え、用水路は役目を終え、大半は埋め立てられましたが、今も北野3条3丁目に長さ500mに渡って吉田用水跡が帯状の緑地帯として残っています。

落ち葉を踏みしめ清田公園を歩く
歩こう会の一行は、この後、清田公園、清田緑地、平岡樹芸センターなどをてくてくと歩き、平岡ではかつてリンゴを保管したレンガ倉庫などを見ながらウオーキングをしました。

エゾリスが飛ぶ出してくる一幕も=清田公園で
清田区内も紅葉が見ごろになり、歩こう会の一行は色づいた木々を見ながら秋のウオーキングを楽しみました。
清田公園では、エゾリスが一行の横に飛び出してくる一幕もありました。
本年度の清田区歩こう会は、来年1月下旬に3回目を開催します。3回目は白旗山かんじきコースになる予定です。
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