一面雪景色が広がる八紘学園(札幌市豊平区月寒東)の敷地内を散策してきました(2023年1月31日)。雪のポプラ並木が、映画に出てきそうな美しい景色でした。

八紘学園ポプラ並木=2023年1月31日

 札幌の大都市内にある田園風景と言えば、北海道農業研究センター(豊平区羊ヶ丘)と北海道大学農場(札幌市北区)、そしてここ八紘学園(北海道農業専門学校)でしょうか。

 八紘学園の農産物直売所(豊平区月寒東2条13丁目1-12)の駐車場に車を停めました。直売所は冬も土、日、月曜日に営業しており、駐車場は除雪されていて、車を停めることができます。

 駐車場の目の前に、ポプラとシラカバの並木が斜めにまっすぐ伸びているのが見えます。夏の景色もいいですが、冬景色もなかなか素敵です。早速、並木の中を歩いてみました。

 八紘学園は、この並木を開放してくれていて、除雪までしているので、とても歩きやすいです。

 この並木は、100年近く前に植えられたそうです。「ポプラ並木」と一般に言われていますが、シラカバの木も結構、多い感じです。

 近所の人でしょうか、散歩や犬の散歩の人が結構、来ているようです。

札幌ドームが見えます

 映画に出てくるような美しい冬のポプラ並木。実際、八紘学園は黒澤明監督の映画「白痴」(昭和26年=1951年)の雪の牧場シーンで、ロケ地に使われたそうです。

 歩いて行くと、雪をかぶっている野菜畑やデントコーン畑の向こうに、札幌ドームの丸屋根がマンション群の間に見えます。

牛舎の前に人懐こいにゃんこがいました

 北野通を渡って、さらに八紘学園の敷地内を歩きました。牛舎の前に1匹の猫がちょこんと柵に座っていました。犬の散歩に来ていた人に聞いたら、ネズミが出るので八紘学園で数匹の猫を飼っているそうです。

夏に花菖蒲園になる畑も今は一面の雪景色

 人慣れしていて、頭をなででも逃げません。かわいいです。

 夏にきれいな花が咲き誇る花菖蒲園は、一面の雪原になっていました。花菖蒲園はコロナのため2021年と2022年は中止でした。今年はどうなるのでしょうか。

ツキサップじんぎすかんクラブ

 広々とした雪原風景を見ながら奥まで歩き、あやめの中学校の手前で、ラルネナイ川を渡ると、「ツキサップじんぎすかんクラブ」(豊平区月寒東3条11丁目2-5、八紘学園農場内)が見えてきました。これも八紘学園の経営です。

北海道のジンギスカンは、八紘学園の創立者、栗林元二郎が野戦料理であったジンギスカンを満州から持ち帰ったのがルーツと言われているそうです。

 再び北野通を渡り、ポプラ並木を歩いて農産物直売所の駐車場に戻りました。

 八紘学園の敷地は、もともと明治時代にこの地で広大な農場や牧場を経営していた吉田善太郎という人の土地でした。吉田善太郎は明治4年(1871年)、岩手県からの開拓団44戸の一員として月寒に入植。当時10歳でした。やがて父が亡くなると、一家の中心として農地開拓に力を注ぎ、今の大谷地、月寒東などに農地を広げました。

 吉田善太郎が、この地に吉田牧場を開設したのは明治30年(1897年)とされています。この吉田牧場を購入し、昭和6年(1931年)に農業専門学校を開いたのが八紘学園の創立者、栗林元二郎でした。

歴史を感じさせるサイロと畜舎

 こうした歴史があるため、農産物直売所からほど近いところに、今も吉田牧場当時のサイロと畜舎(八紘学園資料館)が現存しています。

八紘学園栗林記念館

 また、八紘学園栗林記念館という洋館がありますが、これは栗林元二郎の邸宅でした。これも元々は吉田善太郎が明治42年(1909年)に別邸として建てたものでした。

 八紘学園には、こうした牧歌的な景色や建物が現存し、歴史を感じながら散策できるのも魅力です。

 なお、吉田善太郎は明治25年(1892年)頃、今の清田区清田1条1丁目の北海道コカ・コーラボトリング裏手の厚別川(あしりべつ川)から取水し、北野、大谷地方面に農業用水を供給した「吉田用水」(全長5㎞)を開削した中心人物でした。

 吉田用水によって、北野、大谷地方面に水田が広がりました。

 吉田用水は昭和40年代、都市化とともに役目を終え、ほとんど埋め立てられました。しかし、その跡が今も清田区北野3条3丁目に長さ500mの緑地帯として残っています。

 雪の八紘学園を散策しながら、先人たちの開拓の歴史を感じました。

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