札幌市が清田区の里塚霊園内に新たに建設しようとしている「新里塚斎場(火葬場)」計画が、住民の猛反発・猛反対で大炎上しています。

11月13日:里塚・美しが丘地区センターでの住民説明会
札幌市は11月13日から12月2日まで、清田区内の4か所で新里塚斎場建設計画の説明会を行いました。会場は里塚・美しが丘地区センター(11月13日)、里塚町内会館(11月24日、昼と夜の2回)、清田区民センター(11月29日)、羊ヶ丘通町内会館(12月2日)の4か所でした。

説明する札幌市の担当者(部長と課長)
札幌市保健福祉部ウェルネス推進部の部長と課長が説明しましたが、どこも猛反対一色となり、住民ははっきりと市の計画にNOを突き付けた形です。
札幌市の新里塚斎場建設計画とは、里塚霊園内の円形広場に新里塚斎場(火葬場)を建設するというものです。

現在の里塚斎場。里塚霊園の一番奥まった所にある
現在は、里塚霊園の一番奥に昭和59年(1984年)供用開始の里塚斎場がありますが、老朽化している上、市内の火葬件数も増加していることから、市は建て替えが必要だとしています。

里塚霊園。中央にあるのが円形広場。霊園の右奥(林の際)にあるのが現里塚斎場。住宅が霊園までぎっしりと建ち並んでいる(グーグルアース)
新里塚斎場の建設地(円形広場)は、今の斎場より約500mも住宅街に近くなった場所で、住宅街との距離は150mに接近します。
清田区内4か所で市が開催した住民説明会では、反対や疑問の声が相次ぎました。
最も激しい反発があったのは、霊園内の円形広場に新斎場を建設するという計画の核心部分です。
「今の斎場でも長年、我慢してきたが、新斎場の円形広場は住宅街に接近した場所で、とても受け入れられない」「住宅街に火葬場を造るなんておかしい」といったものです。

里塚霊園の円形広場。地域住民の運動や散歩など憩いの場になっている。災害時の緊急避難場所にも指定されている
そして、今の斎場からも「住宅やマンションに排煙が飛んできたり、臭いがしたりすることがある。衣服に臭いが付くことも。新斎場は住宅街にものすごく接近する。とんでもない」
札幌市の担当者は「ダイオキシンは基準以下です」と説明しますが、住民にとっては基準以下でも煙や臭いの不安が負担になっているのです。
健康面の不安だけでなく、精神的負担や風評被害などを心配する声もあります。説明会で配布した市の資料には、こうした住民の不安、疑問に配慮した記述がほとんどなく、これも反発を強めている一因です。

11月24日:里塚町内会館での説明会
住民は、新斎場の建設が必要なことは理解しています。しかし、なぜ、それがまた里塚なのか、全く釈然としないのです。
市は新斎場を再び里塚霊園内に建設を決めた理由として、昭和50年代に「主搬入路が住宅街を通らないこと」等から里塚に決めた経緯があるとしています。しかし、これは昭和59年(1984年)供用開始の現里塚斎場を建設したときの判断根拠です。今度の新斎場の根拠にはならないでしょう。
昭和50年代は、里塚霊園周辺はまだ住宅街が形成されておらず、確かに、「住宅街を通らない」状況でした。
しかし、今は霊園の際まで住宅がびっしり建ち並んでいます。近くにはマンション群もあります。「住宅街を通らない」ことが決め手というなら、新斎場を里塚霊園内に建設するのは全くおかしな話です。
住民からは「昭和50年代に里塚が最適だと決めたから、今回も里塚だと決めるのはあまりにひどい話」「昭和50年代とは住宅環境がまるで変った。今は令和だよ」と疑問が相次ぎました。
この点を住民は市側に問いただしましたが、市の担当者は「斎場は、里塚と山口の2配置体制が最適」「(昭和50年代に)里塚を火葬場の最適地と決めた経緯がある」というのみです。これでは住民が納得しないのも当然です。
現里塚斎場を建設したとき(昭和50年代)は、市内で候補地を18か所挙げ、その中で検討の結果、里塚にしたという経緯があります。
「今回は、市内全域でいくつの候補地を挙げ、検討したのか」という住民の問いに、市は「他は検討していません」との回答。これには住民はあきれ返り、「里塚ありきの進め方は納得できない」「札幌市内には他にも住宅が近くにない土地がいくらでもあるはず」との反発が相次ぎました。
そして、ついに「計画は白紙撤回だ。一からやり直せ」の声が上がりました。こうした反対意見に、しばしば会場の出席者から拍手が起きました。

11月29日:清田区民センターでの説明会
さらに、新しい合葬墓を里塚霊園内に建設する計画も説明会の場で発表されました。これに住民は驚きだったようで、何でもかんでも里塚に持ってくる市のやり方に反発が相次ぎました。
市によると、平岸霊園に設置している合葬墓(複数の遺骨を一緒に埋葬する形式のお墓)の埋葬可能容量が限界に近づきつつあり、合葬墓の新設が必要で、市は新合葬墓の建設地を里塚霊園に決めたといいます。
しかし、この建設地は住宅街から2、30mの至近距離であり、住民から「住宅地の目の前に合葬墓ができることになる。6万体の遺骨が埋葬されるそうですが、不安、恐怖、嫌悪を感じます。計画を見直してください」との声が上がりました。

12月2日:羊ケ丘通町内会館での説明会
昭和50年代、現里塚斎場を建設する際も、地元では反対運動が起きました。当時の清田地区町内会連合会は「清田地区は札幌で最も開発が遅れている。このままでは霊園と斎場のまちになってしまう」と危機感を抱き、「地下鉄東豊線の清田までの建設」「羊ケ丘通、北野通の整備促進」などインフラ整備など14項目の要望を市に提出。昭和56年(1981年3月)、市がこの地元要望に「善処する」ことを条件に同意した経緯があります。
しかし、地下鉄清田延伸はいまだ実現に至らず、当時の約束を反故にしたまま今回の新里塚斎場の建設計画を市が出してきたことに、説明会でも「約束を果たしてほしい」との声が多く上がりました。
地下鉄東豊線建設促進期成会連合会は毎年、地下鉄清田延伸を市長に要望していますが、今年も10月27日、秋元市長に清田延伸をかさねて要望しました。その際、期成会は次のように文書で秋元市長に申し入れしました。
「今の里塚斎場(火葬場)を里塚霊園内に造った際、札幌市は清田方面への地下鉄建設を地域住民に約束しました。その約束を反故にしたまま、市は新たな斎場を再び里塚霊園内の別の場所(円形広場)に建設しようとしていますが、到底、認められるものではありません。当初の約束通り地下鉄を清田まで延伸してください」
地下鉄期成会は、清田区と豊平区の全町内会連合会などで構成している住民団体です。清田区内の5町連(清田、清田中央、北野、平岡、里塚・美しが丘)の会長も「地下鉄延伸が実現していないうえに、住宅地に近い円形広場での建て替えは受け入れられない」との見解です。
こうした交通インフラの話などは、説明会に来た市の担当者は答えられず、「持ち帰って市役所内で検討する」といった回答に終始。「答えられるのは市長しかいない。次は市長にも説明会に来てほしい」との声が上がりました。
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