札幌市が里塚霊園内(円形広場)に新たに火葬場(新里塚斎場)を建設しようとしていることに対し、地域住民が猛反発しています。反発している一因には、市が他の候補地を一切検討することなく「里塚ありき」で話を進めている点にあります。

現在の里塚斎場。里塚霊園の一番奥まった所にある
市は、昭和59年(1984年)に使用開始した今の里塚斎場(里塚霊園の一番奥に立地)が老朽化していることに加え、火葬需要が増加しているため、新斎場の建設が必要と説明しています。

市が新里塚斎場を建設しようとしている里塚霊園円形広場
新里塚斎場の建設場所として市が計画している円形広場は、今の斎場より約500m住宅街側に前進した場所にあります。住宅街までわずか150mの場所のため、地域住民が猛反発しているのです。
地域住民も新斎場の建設が必要なことは理解しています。しかし、なぜ里塚なのか、なぜ円形広場なのか、そこに疑問を抱いているのです。
地域住民からは「札幌市内には住宅が近くにない場所がいくらでもあるはず。なぜ、住宅街が迫っている里塚なのか」と強い疑問と不満の声が上がっています。
市によると、今の里塚斎場を建設した際は、市内18か所の候補地を挙げて検討し、最終的に里塚霊園内に決めたとのことです。しかし、今回は、全く他の候補地を検討することもなく「里塚ありき」で計画を進めているのです。
市が12月2日に羊ヶ丘通町内会館で開催して住民説明会で、住民が「今回は、市内全域でいくつの候補地を挙げ、検討したのか」という住民の問いに、市は「検討していません」と回答しました。これには驚きました。
そして、今回、里塚が最適地とした理由に、なんと昭和50年代当時の今の里塚斎場を建設した際の選定根拠を挙げているのです。
市は18か所の候補地の中から「主搬入路が住宅街を通らないこと等から、総合的に評価し、里塚を火葬場の最適地として選定した経緯があります」(市の説明資料)としています。
住民説明会では、住民側から「昔は住宅がほとんどなかった。今は住宅がいっぱい建って環境は全く変わっている。おかしいではないか」との疑問が数多く出ました。
そこで、今の里塚斎場が最適地とされた当時(昭和50年~51年)の国土地理院の地図を見てみましょう。

昭和50年~51年頃の里塚地域。里塚霊園の周囲に住宅はほとんどなかった=あしりべつ郷土館ホームページ「清田今昔マップ」より
ご覧のように、里塚霊園の周囲は住宅がほとんどなく、確かに「主搬入路が住宅街を通らない」状況でした。周囲は農地、あるいは山林だったのでしょう。里塚は、人里離れた札幌の端の端でした。
この頃は、千歳方面からの高速道路も北広島インター止まりで、札幌市内に続く高速道路はまだ未整備だったことが地図からも分かります。このような頃に「火葬場は里塚が最適」と選定されたのです。
ところが、今はどうでしょうか。現在の国土地理院の地図を見ても分かるように、里塚霊園の際まで住宅がびっしりと建ち並んでいます。

今の里塚・美しが丘地域。霊園の際まで住宅がびっしり。霊園内の一番下の長方形(オレンジ色)が今の里塚斎場。これを市は丸い箇所(円形広場)で建て替えようとしている。
それなのに、昭和50年代の選定根拠を持ってきて「今回も里塚で」というのは、あまりに乱暴ではないでしょうか。今は、明らかに「主搬入路が住宅街を通る」状況です。
そして最近は、里塚霊園の前方にコストコができ、大曲川を渡ったすぐそばにはアウトレットパークなどの大型商業施設が集積しています。土曜日曜などは、周辺道路は大量の車が押し寄せ、混み合います。里塚霊園の目の前は大型商業施設集積地域でもあるのです。
こうした周辺環境の大きな変化に全く無頓着な市の計画に住民は不満と疑問を持っているのです。
ちなみに、1995年(平成7年)~1998年(平成10年)頃の国土地理院の地図も見てみましょう。昭和50年代と比較すると、住宅がかなり建ち、昭和の終わりから平成にかけて急速に住宅街が形成されたことが分かります。

1995年~1998年頃の里塚・美しが丘地域。里塚霊園の周囲に住宅地が形成されてきた。霊園の一番下に「里塚斎場」が見える
里塚地域はこうした歴史を歩んできたのです。50年も前の「主搬入路が住宅街を通らないから」などという根拠を今回も持ち出してくるのは、あまりに常軌を逸しています。
市は「里塚斎場と山口斎場の2斎場体制が最適」といいますが、最適の根拠が住民には全く伝わってきません。
住民説明会で「里塚が最適というのはだれが決めたのか」と質問が出ました。市の担当者は「市が決めた」と答えました。住民の意向をまったく聞かないまま、計画が作られていたことが明らかになりました。
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