清田区の清田―北野地区を流れる厚別川(あしりべつ川)の堤防は、絶好の散歩・ウオーキングコースです。川風に吹かれながら、夏の厚別川の堤防を歩きました。
旧道(旧国道36号線)の厚別橋(あしりべつ橋)から厚別川左岸の堤防を下流方向(北方向)に歩き始めました。堤防の上は散策路が整備されていて、歩きやすいです。
いくつも橋が架かっています。実橋を過ぎて、北野通に架かる北野橋、さらに田の中橋、高木橋、人道橋のふれあい橋、東北通に架かる柳瀬橋を右手に見て歩きました。柳瀬橋を渡ってUターンして、左岸の堤防を上流方向に戻りました。
再び厚別橋まで戻ると、往復5キロほどの散策、ウオーキングになります。
この付近は、高い建物がないので見晴らしがよく、遠く恵庭岳も遠望できて、気持ちよく散歩ができます。草のにおいがする河川敷や、周囲も北野中央公園、清田公園など緑が多く、開放感いっぱいです。
実際、散歩やウオーキング、ジョギング、犬の散歩、自転車など思い思いに堤防歩きを楽しむ人の姿をよく見かけます。
ここ厚別川堤防は、平岡公園と並ぶ清田区の人気散歩・ウオーキングコースと言えそうです。
河川敷は厚別川緑地パークゴルフ場になっていて、プレーする人達を見ながらの散歩になります。
北海道コカ・コーラボトリング裏の厚別川堤防沿いの道路わきに、吉田用水記念碑があり、目にとまります(清田1条1丁目)。
吉田用水は明治24年、当時、広大な農場主だった吉田善太郎が開削した用水堀で、厚別橋下流300メートル付近の厚別川から大谷地小学校の東側を経由し、月寒川に達する延長5キロの水路でした。
これにより、厚別川流域の清田、北野などに水田が広がったといいます。今は用水路も水田も消え、一帯は住宅街になりましたが、散歩の途中、足を止め、地域の歴史を感じるのもいいかもしれません。
なお、「あしりべつ」とは、今の清田区地域の昭和19年(1944年)までの昔の地名です。
「厚別」という当て字を書いて「あしりべつ」と読んでいました。「あしりべつ」の語源は、「アシュシヘツ」というアイヌ語で、「ウラエ(ヤナ)のある川」という意味だそうです。
ウラエとは、「川に木の枝を隙間なく打ち込んで柵のように作ったサケを捕る仕掛け」のことです。語源については諸説あるようですが、地元では「アシュシヘツ→あしりべつ:ウラエのある川」説が一般的になりつつあります(あしりべつ郷土館ホームページ「清田の地名:厚別(あしりべつ)」について)。
今でも、清田区では厚別川は「あしりべつ川」、厚別神社は「あしりべつ神社」と呼びます。清田小学校、清田中学校も昭和47年までは「厚別(あしりべつ)小学校」「厚別(あしりべつ)中学校」でした。
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