■旧トンネ川沿いで地震被害
2018年9月6日の北海道胆振東部地震で札幌市清田区清田2条2丁目付近一帯でも、地盤沈下や地下の土砂の流出、建物の傾きなどの被害が発生しました。ここは、かつてはトンネ川が流れていたところで、今は埋め立てられ暗渠河川「旧トンネ川」になっています。
旧トンネ川沿いに地下水が集まり、液状化等が発生した可能性があります。
清田通に面した渡部製作所(清田2条2丁目)の建物は、地震により地下の土砂が大量に建物裏の高低差5メートルのがけ下にあふれ出ました。
その際、大量の水も一緒にあふれ出たといいます。流出した土砂はがけ下の住宅街の道路などに数十メートルにわたり堆積しました。
このがけ下付近をかつてトンネ川が流れていました。今は、暗渠河川「旧トンネ川」となっています。渡部製作所の建物は、その後、解体撤去され、いまは更地になっています。
渡部製作所近くの清田有楽町内会館(清田ひばり公園隣)も地震で少し傾いたといいます。
また、市営住宅(清田2条2丁目)前の羊ヶ丘通(市営住宅のある地表面より少し高い位置にある)の歩道が地震でへこみ、羊ヶ丘通を支える擁壁が若干膨らむように変形しました。
現在、その擁壁修復工事が現地で盛んに進められています。この付近も、札幌市下水道河川局の図面によると、暗渠河川「旧トンネ川」があり、かつての川だったことが分かります。
あの地震では、ヤマダ電機清田店(清田1条1丁目)前の国道36号線と清田通交差点付近の道路も上下に若干うねるように変形しました。ここも暗渠河川「旧トンネ川」が下に通っており、かつてはトンネ川が地表面に出た形で流れていたところと思われます。
清田区の地震被害の特徴は、里塚も美しが丘も、かつて川が流れていた所を埋め立てた場所で多く発生したのが特徴です。かつての自然の地形に沿って地下水が集まりやすいからと思われます。
■旧トンネ川の流路
暗渠河川「旧トンネ川」は、札幌市の河川網図等によれば、擁壁被害があった羊ヶ丘通から始まり、市営住宅横を通り、マンション「シアス羊ヶ丘通」前を通って、渡部製作所裏付近を流れ、清田有楽町内会館や清田ひばり公園裏のがけ下を通り、国道36号線に出ます。
シアスマンション前付近は、今も細長い河川跡らしい地形が残っています。ここは札幌市の河川管理敷地で、それを示す市の看板が立っています。
ヤマダ電機清田店前で清田通に張り出して、旧道との交差点付近でヘアピンカーブのようにUターンしてヤマダ電機裏に向かいます。ヤマダ電機裏で、旧トンネ川は地表に姿を現し、やがて左折して旧道の下を通って、北海道コカ・コーラボトリングの本社工場敷地内に入ります。コカ・コーラの敷地内では再び暗渠河川となり、その先の厚別川(あしりべつ川)に注ぎます。
地表面に現れた旧トンネ川を見ると、わずかに水流が見て取れます。
■ヤマダ電機付近にあった馬背山
旧トンネ川がヤマダ電機清田店付近で大きく蛇行しているのは、なぜでしょうか。郷土史家の了寛紀明さん(清田区在住)によると、昔、ヤマダ電機付近は馬背山という小高い丘だったそうです。はっきりしたことは分かりませんが、丘を避ける形で迂回した流れになったのかもしれません。旧トンネ川が流れていた清田通と旧道の交差点付近には、小さな池もあったそうです。
札幌市の河川網図では、旧トンネ川の暗渠河川は羊ヶ丘通までで止まっています。その先(上流)はどこから流れてきたのでしょうか。
■トンネ川は清田川と合流していなかった
清田団地を上から流れてくるトンネ川は現在、清田3条3丁目の清田老人福祉センター裏付近で清田川に合流しています。旧トンネ川とはつながっていないのです。
ところが、昔のトンネ川は清田川に合流せず、概ね現在の暗渠河川「旧トンネ川」の経路で流れていました。
昭和47年(1972年)の札幌市の河川網図をみると、そのことがはっきりと示されています。この時はまだ、トンネ川は清田川に合流していませんでした。その後、トンネ川の切り替え工事が行われ、清田川と合流したのでしょう。
旧トンネ川と地震の関係はまだ分からないことが多くあります。とりあえず、分かった範囲で、ここに記載しました。
宅地化とともに、かつての川の流れも変わり、埋め立ても行われ、どこに川があったのか分かりづらくなっています。しかし、2018年の清田区の地震被害を見るにつけ、かつての地形がどうだったのか知ることは、防災上、大切なことだと思います。
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