札幌市西区西野の住宅街の中を細長く伸びる「西野緑道」は、木々に囲まれたとても美しい散策路です。この長さ1300メートル、幅30メートルほどの細長い緑地はどのようにしてできたのでしょうか。ここを何度か散策するうちに、その歴史的経緯に関心を持ち、少し調べてみました。
西野緑道の中を1本の水路がずうっと走っています。石で固められたこの水路は「左水無川」という河川名がついています。右股橋付近の琴似発寒川から導水し、西野緑道の中を流れて同緑道の終点付近で再び琴似発寒川に流れ出ます。
西区土木センターによると、この水路は自然河川ではなく、もともとは農業用水路だったといいます。
西野まちづくりセンターを訪ね、地元の連合町内会の記念誌等を見せてもらいました。すると、西野地区は明治30年代から米作りが進み、琴似発寒川から取水した農業用水路が地区内のあちこちに造られたといいます。西野緑道の水路は、そうした水田用水路の1つだったというわけです。
ところが、昭和30年代以降、西野地区は宅地化が進み、水田は消滅、昭和40年代には用水路の役目は終わりました。
役目を終わっても、用水路には小魚が生育し、自然林も豊富で、子供たちの格好の遊び場になっていたといいます。
そんな折、琴似発寒川の護岸工事のために用水路が埋没される計画が明らかになりました。
これに対して、近隣のお母さんたちが立ち上がり、用水路を生かすよう道土木現業所にお願いするとともに、地元の連合町内会に協力を要請しました。
用水路一帯には、樹林がたくさん残っていたそうで、お母さんたちは残したい木に一本一本しるしをつけて歩いたと言います。
運動は盛り上がり、地元の人たちは「西野左水無川公園化期成会」を結成。昭和55年(1980年)に、「用水路を生かして公園造成してほしい」と札幌市に陳情しました。
地元の方たちがよほど熱心だったのでしょう。住民の要望を道と市が受け入れ、用水路を残すことになったのです。翌昭和56年に市は「左水無川河川敷地利用計画基本方針」を策定、同年から5年間かけて、国の補助を得て西野緑道を造成・完成したのです。
もともとあった樹林を生かし、さらに新たに植林して、今の緑濃い西野緑道が出来上がったというわけです。
西野緑道は、かつて西野地区が「西野米」とよばれる良米の産地だったことを今に伝える歴史遺産であるとともに、地域住民の熱意で公園化したという自治精神あふれる歴史をも有する公園緑地というわけです。
西野緑道の水路(左水無川)は夏の間だけ、水が流れます。西区土木センターによると、今年は6月1日から9月ごろまで水を流すそうです。取水口で調整します。夏以外は、枯れた水路です。水の流れていない期間が長いから「水無川」。しかも琴似発寒川の左岸側なので「左水無川」。水路名の由来を勝手に想像しながら散策しました。
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