滝川市江部乙町の菜の花畑を見た後、江部乙の高台にある丸加高原展望台に車で向かいました(2023年5月24日)。
山道の車道を上がっていくと、途中の道端に「文学の径」という看板があったので、「何だろう」と思い、車を降りてみました。
森の中に散策路(文学の径)が続いていたので、歩いてみました。うっそうとした森の中は静かで人の気配もなく、ちょっと不安もよぎりましたが、道端にはツボスミレなど野の花が咲いていて心が和みます。
やがて、森の中に句碑がいくつも建っている所に出ました。滝川や北海道にゆかりのある俳人たちの句が刻まれている句碑のようです。これで「文学の径」というのだなと思いました。
入り口の看板の説明書きに「この『文学の径』の句碑建立は、丸加高原の美しさに感動し、この地をこよなく愛しておられる郷土の生んだ俳人・榛谷(はんがい)美枝子さんが提唱者となって実現したものです」とありました。
この文学の径がある森は、この辺り一帯に広がる滝川自然観察の森(丸加高原生活環境保全林)の一部のようです。森の中には全長1.8㎞の散策路がついているそうですが、今回はそのうちの「文学の径」と言われている所だけ歩いてみました。
この文学の径の提唱者と紹介されている榛谷美枝子さん(1916年~2013年)という俳人は、江部乙出身の北海道を代表する俳人でした。
北海道ではライラック(リラ)が咲くころで、少し寒い時などに「リラ冷え」という言葉を使いますが、この「リラ冷え」という言葉を作ったのは、この榛谷美枝子さんでした。
「リラ冷え」という言葉は、榛谷美枝子さんが昭和35年(1960年)、「リラ冷えやすぐに甘えてこの仔犬」という俳句の季語に用いたのが最初と言われています。榛谷美枝子さんはその後、「リラ冷え」を季語にした俳句をいくつも作りました。
これを小説家の渡辺淳一さん(1933年~2014年)が知ることになり、昭和45年(1970年)に北海道新聞で連載した小説「リラ冷えの街」の題名に使い、この言葉が広く使われるようになりました。
丸加高原の森の中に、このような文学の歴史が眠っていたとは思いませんでした。
森の散策を終えて、丸加高原展望台に行きました。駐車場があり、周辺をまた散策しました。ここにもニリンソウやオオタチツボスミレ、ワイルドストロベリーなどかわいらしい野の花たちが咲いていました。
展望台からは滝川や江部乙などが一望に見渡せ、黄色い菜の花畑が点在しているのもよく見えます。遠く雪が残る暑寒別連峰の山並みが見事でした。
[広告]