札幌市は、清田区の里塚霊園内にある里塚斎場(火葬場)を、同霊園内の円形広場に新たに大きく建て替える計画を進めようとしています。

里塚斎場。里塚霊園の奥にある

 しかし、札幌市は、昭和59年(1984年)に供用開始した現在の里塚斎場を建設した際、「見返りに地下鉄を清田まで建設する」と地元に約束していた経緯があり、「その約束を果たさないまま新たな斎場建設なんてとんでもない」と憤慨する声が上がっています。

里塚斎場

 現在の里塚斎場は、里塚霊園の一番奥に設置されています。それまでの平岸火葬場(豊平区平岸5条14丁目)を移設する形で建設されました。

 札幌市は、昭和50年(1975年)頃から地元住民の同意取り付けに動き、何度も里塚や清田区内で説明会を開催しました。

 市は地元の同意取り付けに6年かかり、昭和57年(1982年)にようやく着工に漕ぎつけ、昭和59年(1984年)に供用開始しました。

 当時を知る住民は「火葬場から出る煙やダイオキシンなどを心配し、署名活動もしましたが、札幌市は『清田まで地下鉄を建設する』と言ったので同意したのです」と言います。

 こうした経緯があったにもかかわらず、札幌市は、新たな里塚斎場の建設について5月20日、地元の里塚・美しが丘地区町内会連合会の理事会(町連執行部と各町内会長の会議)に担当者が出席し、新たな里塚斎場建設計画を発表しました。

新里塚斎場の建設を予定している里塚霊園円形広場

 それによると、新たな新里塚斎場の場所は里塚霊園の円形広場です。今の里塚斎場は、住宅街から最も離れた霊園奥に建っていますが、新里塚斎場は美しが丘の住宅街にかなり近い位置の円形広場に建設する計画です。これも不安の種です。

里塚霊園

 なぜ、新しい斎場をまたも里塚霊園内に建てるのでしょうか。

 札幌市の火葬場は里塚斎場と手稲区の山口斎場(2006年共用開始)の2斎場体制で対応しています。

 札幌市は、新しい斎場を里塚霊園に建てる理由について次のように説明しています。

「災害時のリスク分散、会葬者の利便性等を踏まえると、現在の里塚・山口の2斎場の配置が最適と考えていることから、里塚で新斎場を整備する必要がある」(5月20日に里塚・美しが丘地区町連に示した資料)。

 「災害時のリスク分散」や「会葬者の利便性」が、なぜ「里塚が最適」という理由になるのでしょうか。市の説明はまったく説得力がありません。里塚の場合、公共交通のアクセスが悪く、「会葬者の利便性」なんて全くありません。

 現に、5月20日の里塚・美しが丘地区町連理事会における市の説明の際、町連役員から「里塚、山口以外に斎場建設の場所はあるはず。なぜ、3番目の斎場を他で検討しないのか」と町連役員から疑問の声が出ました。

札幌市の説明資料「里塚斎場の再整備について(案)」

 そもそも、なぜ斎場建て替えが必要なのでしょうか。

 市によると、①今の里塚斎場は老朽化が進んでいる②山口斎場は2036年~37年の2年間、全面改修(全面休場)する予定であり、その2年間、今の里塚斎場だけで市内の火葬需要に対応することはできず、新たに建設する新里塚斎場と現里塚斎場の2施設で対応せざるを得ない③山口斎場の改修が終わったら、現里塚斎場は解体する―としています。

 さらに、火葬能力の年間上限は里塚斎場が1万8000件、山口斎場が2万1750件。2024年度の市内火葬件数は2万6400件あり、現状は対応できていますが、「山口斎場が全面改修に入ると、今の里塚斎場だけでは対応できない」というわけです。

 この新里塚斎場について、市は2025年度に住民説明を行い、2026年~2027年に詳細調査を実施して整備計画をまとめ、2028年~2034年に基本設計、実施設計、建設工事を行う予定だと言います。

 そして2035年度に供用開始を予定。その後、2036年~37年の2年間、山口斎場の休場に伴い、里塚の現斎場と新斎場で市内の火葬需要の全てに対応し、2038年に現斎場を解体するというスケジュールを示しています。

 「山口斎場を休場する2年間、里塚の現斎場と新斎場だけで市内の火葬需要の全てに対応する」という市の説明に、「地元住宅街に市内全部の葬儀関係の車が押し寄せ、様々な弊害が起きそうだ。なぜ、里塚だけなのか」など疑問の声が里塚・美しが丘地区町内会連合会などからで出ています。

 そもそも、今の里塚斎場を建設する際、市は「市内の一定の面積を有する未利用地について、切土や盛度を必要としない地形・地勢であることや、主搬入路が住宅街を通らない等から総合的に評価」したとしています。

 確かに、今の里塚斎場を建設した昭和50年代は、里塚霊園の付近は未利用地がひろがり、住宅街はまだ形成されていませんでした。しかし、その後、里塚・美しが丘は住宅団地の造成が進み、今では里塚霊園との境界までびっしりと住宅が建ち並んでいます。

 とても「主搬入路が住宅街を通らない」などという状況ではありません。

 さらに、北広島市大曲のアウトレットパークなど商業施設集積ゾーンともくっついた状態になっているのです。

里塚霊園。中央にあるのが新里塚斎場建設予定地の円形広場。霊園の右奥に現在の里塚斎場が見える。住宅が里塚霊園までぎっしり迫っている=グーグルアース

 そして、地域にとって、もっとも承服しがたいのが地下鉄建設の約束違反です。

 里塚・美しが丘町内会連合会の役員は「今の里塚斎場を建設する際、札幌市はわれわれに『地下鉄を清田方面まで建設する』と約束しました。地下鉄を今の清田区役所までではなく、里塚霊園まで延ばす図面まで市から見せられた。里塚霊園駅が入った図面です。その約束をなんら果たさないまま、新たな斎場建設なんてとんでもない」と憤ります。

 昭和50年代は、板垣市政の時代でした。確かに、板垣市長の時代、市は地下鉄を清田方面まで建設する計画を打ち出し、市議会でも公言していました。このため、当時、市は霊園の同意を取り付けるために「地下鉄延伸」を切り札として持ち出したのでしょう。

 地下鉄東豊線建設促進期成会連合会(清田区・豊平区の全14町連および清田地区商工振興会などを含めた全20団体で構成)は昨年11月、札幌市の秋元克広市長に提出した地下鉄延伸要望書の中で、新里塚斎場建設の話に触れ、次のように言及していました。

「札幌市は昭和59年に完成した清田区の里塚斎場(火葬場)を造るにあたり、地元の合意を取り付けるのに何年もかかりましたが、その合意に至った切り札の一つが『見返りに地下鉄を建設する』というものでした。

その約束すら果たしていないのに、市は里塚斎場を里塚霊園の円形広場に新たに大きく建て替える構想を練っているやに聞いております。住民感情として、とても看過できるものでないことをお伝えします」

 地域として、この問題はとうてい看過できません。

 清田区は1997年、豊平区から分離、誕生しました。いまだに、地下鉄またはJRがない唯一の区で、交通の不便性をかこったままです。

 市内には地域中心核となる「地域交流拠点」が17か所ありますが、「清田」だけ地下鉄またはJRの駅がないため、バスターミナルもできず、区の中心核が形成されない状態が続いています。

 札幌市はかつて、清田までの地下鉄建設を市の計画にも載せ、市民・住民に約束していました。市が計画した地下鉄路線で、いまだに実現していないのは福住-清田間だけです。

 清田区は地下鉄もなければ、市の大型の文化施設やスポーツ施設などもまったくありません。あるのは里塚霊園と里塚斎場(火葬場)だけです。その上また新たな火葬場建設ですか。こんな地域不平等は、あってはなりません。

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