今年は、岩手県人長岡重治が明治6年(1873年)に清田小学校付近に入植し、最初に清田の開拓を始めてから150周年に当たります。

吉田用水跡=北野3条3丁目

 この記念すべき年に、近年、清田区の1級の歴史資産として注目を集める「吉田用水跡」(清田区北野3条3丁目、全長500メートル)をきちんと公園・緑地化して保存することを「ひろまある清田」は提案します。

吉田用水の貴重な写真。用水路の手入れ作業に来た農民が休憩しているところ(「清田地区百年史」より)

 吉田用水は明治25年(1892年)頃、今のコカ・コーラ裏手の厚別川(あしりべつ川)から取水し、北野、大谷地方面に農業用水を供給した用水路です。全長は約5キロメートルありました。

 これにより、北野は水田が広がり、人が定住して部落が形成されたといいます。

 吉田用水という名前は、用水路造成の中心人物の一人、吉田善太郎から付けられました。

吉田用水跡の位置図(緑色の線)=了寛紀明氏作成

 吉田用水は昭和48年(1973年)、地域の宅地化に伴い役目を終え、大半は埋め立てられました。しかし、北野3条3丁目の500メートル区間だけは帯状の雑草地として奇跡的に痕跡が残っています。

 この吉田用水跡は現在、札幌市下水道河川局の管理になっています。ただ、看板も案内板もなく、夏は雑草が生い茂ったりします。ここがかつて吉田用水という灌漑用水路だったことはあまり知られていません。コカ・コーラ裏手の道路わきに記念碑がぽつんと建っているだけです。

 清田という地名は、「清らかな水田」が広がっていたことから付けられた地名です。水田が広がる大きなきっかけとなったのが吉田用水でした。

吉田善太郎

 清田区は他区と比べて残念ながら歴史遺産が少ない区です。そんな中、吉田用水跡が今も500メートルの長さで貴重な歴史遺産として残っているのです。先人の苦労に感謝しながら、なんとかこの歴史遺産、農業遺産を後世に残し、伝えたいものです。

 札幌市内には、かつての水田灌漑用水路を美しい緑道や遊歩道に変えて、今に残しているところがあります。「ひろまある清田」が訪ねた3か所を以下紹介いたします。

■西野緑道

白樺並木が美しい西野緑道

 札幌市西区西野に「西野緑道」という長さ1300メートル、幅30メートルほどの美しい緑道があります。特に白樺並木は見事で、地域の人たちの憩いの道になっているようです。

西野緑道内を流れる水路

 緑道には「左水無川」という1本の水路があり、夏の間、琴似発寒川から取水した水がさらさらと流れています。

 西野地区は明治30年代から米作りが進み、地区内のあちこちに用水路が造成されました。西野緑道の水路もそのうちの1つでした。しかし、昭和40年代に宅地化とともに用水路は役目を終え、多くは埋め立てられました。

 そこで地域のお母さんたちや人々が立ち上がり、「西野左水無川公園化期成会」を結成、昭和55年(1980年)に札幌市に「用水路を活かして公園に」と要望しました。これを受けて札幌市は昭和56年から5年かけて西野緑道を整備しました。

■安春川散策路

安春川散策路

 札幌市北区新琴似5条1丁目~19丁目にかけて、全長1400メートルの「安春川散策路」が続いています。安春川のせせらぎの両岸は緑の散策路になっています。

 この川はもともと、新琴似に入植した屯田兵が明治23年(1890年)に水害防止と湿地帯の農地化を目指して大排水溝として造成したものでした。

子供たちが遊ぶ安春川の水辺

 時が流れ、昭和40年代になると周辺の宅地化が進み、安春川はいつしか水の流れない川になっていました。

 そこで「先人の苦労を偲ぶプロムナード」として再生しようと、昭和62年(1987年)から整備をはじめ、平成2年(1990年)に安春川が復活し、美しい水辺のある散策路が完成しました。

 水は、麻生にある札幌市創成川水再生プラザからの高度処理水が流れています。

■屯田みずほ通り

屯田みずほ通り

 「屯田みずほ通り」は、札幌市北区屯田1丁目から12丁目まで東西に一直線に伸びる全長2600メートルの遊歩道です。「北区歴史と文化の八十八選」にも選ばれています。

 この道も、もともとは大正5年(1916年)、篠路兵村(昔の屯田地区の呼び名)が造った灌漑溝(用水路)でした。地域の発展を期し造田事業に取りかかり、その水田のための用水路でした。水は創成川から引きました。

 これにより屯田地区は一大稲作地帯になり、稲作は昭和50年代まで約65年間続きました。

 ここも宅地化とともに、用水路は役目を終えました。その跡を昭和61年(1986年)、遊歩道にしたのが屯田みずほ通りです。

 以上見てきたように、「西野緑道」も「安春川散策路」も「屯田みずほ通り」も、いずれもかつての農業用水路の跡を活かして整備したものです。

 「吉田用水跡」も、これと同じようにきちんと整備したいものです。

吉田用水跡を歩いて見学する札幌国際大学の学生たち=2022年5月18日

 近年、清田区の郷土史家、了寛紀明氏による研究により吉田用水の歴史がかなり明らかになってきました。そして、あしりべつ郷土館(清田区民センター2階)に「吉田用水跡を案内してほしい」という団体(清田区内の小学校、札幌国際大学、市民カレッジ等)が相次いでいます。関心の高まりを感じます。

 清田区はかつて水田が広がっていました。そのきっかけとなったのが「吉田用水」でした。その跡が奇跡的に今も北野3条3丁目に残っているのです。きちんと整備して、この地で奮闘した先人たちに感謝の気持ちを表し、後世に伝えたいものです。

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