札幌市生涯学習センター(ちえりあ)=札幌市西区宮の沢1条1丁目=主催のさっぽろ市民カレッジ「さっぽろ10区めぐり―清田区編」が10月5日(水)、12日(水)、19日(水)の3回行われました。

厚別神社の宮司さんから話を聴く参加者

 15名の市民が参加し、厚別神社(あしりべつ神社)や清田小学校前の開拓功労碑、北野の吉田用水跡などを歩いて巡り、清田区の歴史に思いを馳せました。

境内に残る旧厚別神社の建物

 講師を務めたのは、あしりべつ郷土館ボランティアスタッフの了寛紀明さん(郷土史研究家)と川島亨さん(地域メディア「ひろまある清田」代表)の2人。

戦没者を祭る忠魂碑

 1回目の10月5日は、あしりべつ郷土館を見学したあと、館内で清田区の歴史や今の清田区の話題などを了寛さんと川島さんから聞きました。

 2回目の10月12日は、まち歩き。清田区役所に集合し、厚別神社に向かいました。神社境内では、宮司さんから神社の歴史などを聴き、境内に残る昔の厚別神社の建物をはじめ、「忠魂碑」や「上相撲記念碑」「清田会館の跡」碑などの石碑を見て回り、清田の歴史の一端に触れました。

清田小前に建つ開拓功労碑

 続いて、清田小学校前まで歩き、清田小グラウンド前に立つ開拓功労碑について、了寛さんから話を聴きました。この石碑は、あしりべつ地域(今の清田区)に明治6年(1873年)に最初に開拓に入った岩手県人、長岡重治の功績を称えた碑です。

 清田緑地内の厚別神社発祥の地にも歩いて行きました。

清田緑地内にある厚別神社発祥之地碑

こちらは長岡家の神社。厚別神社発祥之地碑近くにある=宮田屋珈琲本店裏手

 3回目の10月19日も歴史まち歩きを行いました。最初に、あしりべつ郷土館で、明治時代に造成された水田用水路「吉田用水」跡のDVDを視聴しました。

 市民カレッジの参加者一行は、あしりべつ郷土館から厚別川左岸に建つ「吉田用水記念碑」まで歩き、さらに北野3条3丁目に残る吉田用水跡も了寛さんらから解説を聞きながら実際に歩いて見学しました。

吉田用水記念碑

 吉田用水は明治25年(1892年)頃、吉田善太郎さんら地元の農家が手作業で造った水田用水路で、今のコカ・コーラ裏手の厚別川(あしりべつ川)から取水し、北野、大谷地方面の水田に水を供給しました。全長は約5㎞ありましたが、昭和40年代になって都市化の波が押し寄せ、水田がなくなるとともに吉田用水も役目を終え、ほとんどが埋め立てられました。

吉田用水跡を歩く

 ただ、北野3条3丁目には長さ500mに渡って帯状の緑地帯として用水路跡が今も残っています。

 天気にも恵まれたまち歩きでした。清田区は歴史的建物や記録等が少なく、「歴史がない」などとも思われがちですが、参加した皆さんは、清田の歴史の一端に触れ、清田区にも豊かな歴史があることを少し感じてもらえたのではないでしょうか。

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